ブレードランナー2049 人間もどきのこの世界に

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片道3時間近くかけて1本の映画を見に行く

 昨年の11月の最終土曜日、意を決してBlade Runner 2049を見に行った。北海道の東部ではなんと釧路でしか上映していないのだ。私の家からは、車で片道2時間半。たかが映画1本、しかも35年前に公開された映画の続編、そこまでして見に行く価値があるのかと、しばらく悩んだ。結局見に行かないで後悔するくらいなら見に行く事にした。


 映画は17時10分上映開始の一回だけ。たった6〜7人しか席が埋まっていない。オレは館のほぼど真ん中の席を予約した。半径2メートル以内には誰もいない。プライベート上映会気分だ。全部で10名ほどの寒々しいほどガラガラの館内は、平均年齢50歳以上、しかも観客は男のみ。前評判は良かったけれども、これはハズレの映画の予感。

「これじゃ外れたのも仕方ないや」

 これがこの映画を見終わっての正直な感想。まず何と云っても話が長すぎる。上映時間が3時間と云うのはちょっと長すぎだろう。しかも話は複雑で判り辛く、中盤あたりは冗長で間延びしている。最近はやりの映画のように、超人の派手なバトルなんかない。殆どのシーンは暗い。沈欝。出てくる登場人物も、登場人物は何奴も此奴も感情移入できない嫌な奴ばかり。主人公は常に無表情。若者に訴えかける要素なんか全く無し。

 こんな映画が当たる訳がないじゃないか。トレーラーを見てアクション満載の映画を期待した人はがっかりするだろう。これは「人間ドラマ」だから。アクションなんかドラマのただの補足、付け足しにしか過ぎないんだ。

 前評判とは裏腹に、散々な興行結果で早々の上映打ち切り、北見のイオンシネマなんか上映さえなかったのも頷ける内容だ。あまりにも少ない観客で、館内は冷え冷えとしていた。だからオレは上映2時間目に尿意を催し、どうしても我慢出来なくて途中退席したのだ。その間5分。その間に「K」は自分の出自を疑う重要なシーンが有ったのにオレは見そこなった。

じゃあBlade Runner 2049は失敗作か?

 じゃあこの映画は見るに価しない作品か? 失敗作か? と聞かれたら、オレは全身全霊を込めて、いやそうじゃないと否定する。これは絶対に見ておくべきだ。この20年間ほど見た映画の中で、これほど魂を揺すぶられ、感情に訴えかけられる映画は他に見た事がない。

 上映が終わり疲れた頭に、じわじわじわと、震えが魂の奥底から出てくるようなこの切なさはなんなんだ? この監督は単純に前作のストーリーを続けたのではなく、前作に流れる「生きている物=人間と、生きていない物=レプリカントとの違いは何なのかと云う問い掛けの続編を作ったのだ。何が人を人足らしめているのか、人の形はしていても人とは云えないモノは何なんだろうか? という疑問を。

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30年以上待った甲斐があった

レプリカント犬ではありません改造犬です
犬として生まれ、改造犬として生きる犬

 30年ほど前にK.W. Jitterが書いたBlade Runnerの続編小説「ブレードランナー2 レプリカントの墓標」(当時Blade Runner2の制作決定とか本の帯にかかれていた)が何故ゴミなのか。それは彼の作品が単に前作のストーリーの続きを書いただけだからだ。しかも一度噛んだガムにまた砂糖をまぶして噛むような二番煎じのストーリー。こんな出来の悪い筋が続編にならなかった事を心底安堵する。25年前の当時、続編制作決定なんて報道されていたのを思い出す。

 ああ、それにしても、もう一度この映画を大きなスクリーンで見たい。大音量で音を堪能したい。そんな、見終わった直後から禁断症状が現われるのが、Blade Runner 2049だ。この20年間に見た映画で、最高の映画だとオレは断言する。

 ストーリーの濃厚さは上記に書いた通りだが、もちろん映像も前作の事があるから、細部に至るまで作り込まれている。それがなければBlade Runnerの世界ではないからだ。3時間にわたる人間の孤独を描くには、それだけの描写が必要なのだ。

注:以下の文書にはこの映画のオチが書かれています。まだこの映画を見ていない方は、読まない方が良いと思います。

 この映画の魂は何かと考えてみた。主人公「K」はレプリカント(レイチェル)とDeckardから生まれてきた子どもを見つけて始末する事を命令されていた。だがその捜査の中で「K」は自分は作られたのではなく、生まれた=人間なのではないかという疑問が涌き出してくる。かれはそれが真実なのかどうかと、足掻来始めのだ。オレはレプリカントなのか? ひょっとしたら人間なのか?

 結局の所やはり「K」は作られたレプリカントだったと云う事実を知る。自分にある「その記憶」あとで埋め込まれたもので、その記憶を埋め込んだ人こそ、彼が探し求めていた「レプリカントから産まれた子どもの今」だったわけだ。

だが彼は命令を拒否してDeckardを守り、レプリカントから本当に生まれてきた『人間』である彼女を守ろうとする。命令に背いてまで。そんな彼の自己犠牲こそ、正に人間の行う行為なんだ。「K」はそうやって、作られたレプリカントながらも、行動で人間になる事が出来たのだ。

 何故この映画はじわじわと切なさが迫ってくるのか。前作の最初の公開版ではDeckardがモノローグで色々心情を語っていたのだが、今作ではそのような描写が一切ない。ただ「K」はひたすら行動するだけ。だが彼のその行動から彼の心情がひたひたひたと見る物に伝わってくる。感情をほとんど表出しないレプリカント、だが彼のその感情は行為によって染み入るように観客に伝わって行く。

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人間から生まれたから人間なのか? 

夕日

この映画に出てくる人間は、彼らこそレプリカントじゃないか! と云いたくなるほど情に欠けている生物ばかりだ。それに対して「K」はレプリカントながら、見るものにとっては彼こそが人間だ! 思ってしまうほど感情移入出来る存在として描かれている。


 「K」の唯一の友達は、ホログラフィックの彼女。単なるプログラムでしか過ぎない、実体を持たないホログラフィの彼女は、投影機が破壊される瞬間「K」に「愛している」と一言だけ告げで永遠に消え去ってしまう。ここでも、非人間が人間に転化される瞬間が描かれている。


 そういう我々は、本当に人間と云えるのか? 人間って、人間から生まれてきたから人間と呼べるのか?

 何が人間を人間たらしめているのか? TVでニューズを見ていると、レプリカントなんか存在しないこの2018年に、こいつら本当に人間なのか? 人間もどきなんじゃないのかと思う事ばかりが目につく。

この国のアホに似た名前の大臣は、かって先進国と呼ばれたこの国を貧困に喘ぐ後退国に貶めながらも、そんな事お構いなしに高い夕飯を有名人と喰って良い気になっている。それが人間のする事か? 人間としての心は何処にある? あんなアホに比べたら、ホログラフィーの彼女のほうがよっぽど人間らしい。

 そんな訳で、人間もどきばかり蔓延るこの世界だからこそ、本当の人間とは? と問いかける、こんな映画が作られる必要があるのだ。今本当に必要なのは、岩を素手で砕くスーパーヒーローなんじゃなく、他者に対する慈愛を持った全うな人間なんだ。


 「K」は映画の最後で本当の人間ならなすべき事を誠実に勤め、そしてレプリカントとして生まれながらも、「人間」として死んで行ったのだ。だから降りしきる雪の上に倒れる彼の姿に観客は涙するのだ。


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